さすがに食べ過ぎるとスペイン名物パエリアは飽きました。
スペインのパエリアっておこげなしなんですよね〜。どちらかというと雑炊に近い食感・・・。I LOVE OKOGE!!どうも、いちろーです(@『Life』book)。
しかし、これはどれだけみても飽きませんでした。
そう、バルセロナ名物・サグラダファミリアです。(注:食べ物ではない)
スペインが生んだ天才アントニ・ガウディ。スペイン・カタルーニャ地方出身の建築家で、幼少期からリウマチを患っていた(若年性関節リウマチ?)。病弱だったガウディは同世代の子供と同じように遊ぶことができなかった。そのため、幼い頃から周囲にある物の造形の観察に明け暮れ、後の建築家のデザインの基礎となったらしい。
20代にバルセロナの建築学校で学び始め、当時の学校校長で建築家のアリアス・ルジェンは、ガウディに「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられる。
繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルはガウディの才能に惚れ、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼した。
そして1883年にサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦される。
ガウディ建築の代表作サグラダファミリア。外観にはたくさんの彫刻があり、どこから見てもひとつとして同じ形、表情はない。熱心なカトリック教徒だったガウディはキリストの様々なシーンをも彫刻で表現している。
ただただサグラダファミリアを眺めながら、出てくる言葉は「ガウディ、すげぇ・・・( ゚д゚)。」(あぁ、もっと言語化豊かな人間になりたい)
ガウディは熱心なカトリック教徒としてすごした。1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、このサグラダファミリアの建設に全精力を注いでいく。
しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まなかった。さらに1918年、パトロンのエウゼビ・グエイが死去する。
ただ建築中からガウディはもちろん自分が生きている間にサグラダファミリアが完成しないことはわかっていた。それでも造ることを止めない。むしろ自分が亡くなった後完成したサグラダファミリアがバルセロナの象徴となり市民の誇りになることを夢みて、見る人が気づかないような本当に細かいところまで、ステンドグラスの微妙な色までもこだわった。
1926年ガウディはミサに向かう途中、路面電車に轢かれた。晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。
その意志の大きさ、想いの強さが建築完全ど素人の自分にまで伝わってくるサグラダファミリア。一生かけてここまでの情熱、想いを注げられるモノ。自分には見つかるんだろうか。
完成は2026年予定。ガウディが亡くなってからちょうど100年。朝も昼も夜も、昨日も今日も明日も、一度も同じ顔にならないサグラダファミリア。
ここまでガウディが想いを注いだサグラダファミリアに必ずまた会いに来よう。
本日の参考文献はもちろん恒例のウィキペディア先生。
そして・・・・
「ガウディとお散歩」
1冊14ユーロ。可愛らしいイラストとちょっと悲しい物語が購買意欲をそそります。荷物を増やさないようにしてましたが、気づいたら手に取りレジに並んでました(笑)。
お付き合い頂き、ありがとうございました。